少し前の話になりますが、豊橋の地に引っ越してきたのが、2019年の2月でした。少し暖かくなったその年の4月に豊川稲荷に行ってみました。
大阪に住んでいた時は、奉納された朱塗りの千本鳥居で有名な京都の伏見稲荷に行ったことがありますが、そこでは、いろんなご利益もいただきました。この東三河地方に来たからには、やっぱり、稲荷といえば豊川稲荷に行っとかねばと思っていました。
豊川稲荷へのアクセス
豊川稲荷は、豊橋駅からJR飯田線に乗り、「豊川駅」で下車して、歩いて5分のところにあります。名鉄豊川線を利用する人は、豊川稲荷駅下車です。
豊川稲荷の由来
この稲荷は、曹洞宗のお寺で、お寺の名称は妙厳寺、山号(多くのお寺が山の中に建てられたことから、お寺に付ける称号)は円福山です。
『国史大辞典』(吉川弘文館)によると「浜松普済寺開山華蔵義曇の弟子東海義易が嘉吉元年(一四四一)に開創し、東三河寒巌派の拠点となった。近世朱印地四十五石、末寺百六十余。」ということです。
稲荷の由来を調べたところ、大日本百科全書(小学館)によると、「伝えるところによれば、寒巌義尹は康元 (こうげん) 年間(1256~57)中国に渡って帰朝のおり、船に白狐 (しろぎつね) に乗った吒枳尼天が現れ、守護を約束したので、帰朝後その姿を刻み、護法の善神として祀ったという。」ことでした。
本尊は千手観音菩薩です。
今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に帰依を受けて栄えました。
豊川稲荷の境内散策
鳥居をくぐると、威圧されるぐらい立派な本殿です。

山門は、天文5年(1536年)今川義元公が寄進した建物で、このお寺では最も古い。

禅堂(万燈堂)は、豊臣秀吉の念持仏で、不動明王と文殊菩薩が奉祀されていました。座禅修行の道場でもあります。

景雲門は、安政5年(1858年)の創建で、彫刻は名匠諏訪ノ和四郎の作です。

奥に行くと、「霊狐塚」とあり、鳥居の向こうは、こうなっていました。




お狐様の数がすごすぎました。圧倒されて思わず手を合わせてしまいました。
東京にはこの豊川稲荷の別院があります。
さすがに三大稲荷(諸説あり、二大稲荷とすることも)の一つ。ご利益ありそうです。また次回は、ゆっくりと参拝してみようと思います。
豊川稲荷の参考文献
豊川稲荷ホームページ
豊川稲荷界隈商店街 おきつネット
<参考文献>
三河國豊川村圓福山妙嚴寺境内圖 (みかわのくにとよかわむらえんぷくざんみょうごんじけいだいのず)
書誌ID 029210773
天保5 (1834) 1枚,39×70cm
神戸大学附属図書館 住田文庫 請求記号 5C‐138
URI https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/029210773
豊川稲荷と門前 : 豊川・妙嚴寺鎮守神 / 松山雅要著
〔豊川〕 : 〔松山雅要〕, 1998.10
1冊(ページ付なし) ; 26cm
1998年4月刊の増訂
朝日新聞
2018年1月23日 朝刊 名古屋共通・地域総合
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2018年1月24日 朝刊 名古屋共通・地域総合
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